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慶應義塾OCW >>コース一覧 >> 法学部 >> 政治学基礎 I(2004春学期)
政治学基礎 I(2004春学期)

【テーマ04:権威主義と正統性】

■Erich Fromm 「自由からの逃走」
人類史 = 個人の完全な(権威からの)解放史
自由

外的権威からの解放
└→個性化
┌自我の成長
└孤独の増大
└→克服衝動
┌自由からの逃走
└自発的行為

*独立と孤独・不安の二面性

■宗教改革:自由からの逃走
権威を恐れ、しかし権威を愛したルター
教会権威からの解放とその「自由」にともなう孤独と無力
自己の完全放棄による神の愛の確信

■権威主義的パーソナリティー 

  • サディズム的傾向:他人を自己に依存させ支配しようとする。
  • マゾヒズム的傾向:自己の外側の力や秩序に依存し服従しようとする。

  • 両者は正反対のもののようで、対象に依存することで不安の源である自己そのものから逃げだし、不安を解消しようとする点では同一の心理的逃避メカニズム

■カルヴィニズムのサド・マゾ的権威主義
 
    サド・マゾヒズム的人間は、「権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時に彼はみずから権威であろうと願い、他の者を服従させたいと願っている」

■近代へ
    宗教改革は、ウェーバーも指摘するとおり、「人間に対する教会の支配を排除したのではなくて、むしろ従来のとは別の形態による支配にかえただけ」である。

■ファシズムの温床としての権威主義的パーソナリティ
    ファシズムは、「権威」の概念を個人的レベルから切り放し、それを国家の強制的権力の正当化原理そのものに転化することで、それを再び諸個人に投げ返し、国民生活全般の組織化と統制に適用するという、より手の込んだメカニズムを利用する体制。
    -->権威主義的パーソナリティ=ファシズムは短絡

    参照:F-Scale
    一見したところリベラル(?)なアメリカ中流家庭に見られる権威主義的パーソナリティ
          Th.アドルノ他『権威主義的パーソナリティ』青木書店
        1)社会的権威の強制する規範・慣習への固執
        2)自集団の権威の美化、盲目的服従
        3)慣習違反者の非難、排除、処罰
        4)自己反省を嫌う、具体的・即物的態度
        5)迷信、偏見、ステレオタイプの受容
        6)自己の力の誇示
        7)他者、人類への敵意・シニシズム
        8)自己の敵意を他人に投射した他者からの「敵意」
        9)性的規範違反への強い関心と厳格な対処

    ファシズム:権力の全面的権威化と、個人の精神の奥底にまでわたるその適用による「国家」と「個人」の直結

■戦争(非日常)と《日常》におけるサド・マゾヒズム
    戦争で人殺しを楽しむ者と、われわれとの道徳心に大きな開きがあるという考えは、「正常」という概念を支える幻想に過ぎない。虐待された子供は、虐待する親になる。残虐行為を減らす為には、暴力に埋もれた叫び声に耳を傾けることができるようにななねばならない。戦争という盲目的な儀礼から抜け出す唯一の方法は、怒りの代わりに悲しみを学ぶことである。(サム・キーンより)
    他者の悲しみにやさしい文化を創らなければ、平和はない(野田正彰より)


   【補説】エディプス・コンプレックスの構造:<超自我>に内面化される父親の権威

自己防衛機制としての投射(投影)


■権力と権威(まとめ)
    「権威」への従属は確かに自分の判断や決定の放棄を意味するが、自分が必要とする時にいつでもその自己決定権をとりもどせる仕組みが整っていさえすれば、そのような「放棄」は自由の増大のためにもなる。問題は権威と権力が結合することでこの「とりもどし」のチャンスが奪われてしまうこと、しかもその奪われたチャンスが強制されたものでなく自発的放棄だと思いこまされてしまうこと。
  • 定理1:すべての支配は、常態では権力(物理的強制力)の行使ではなく、権威の承認という形で保持される。

  • 定理2:権威の崩壊、すなわち服従者の命令者に対する疑念の増大という危機において、それでも支配関係を維持するために行使されるのが物理的強制力としての権力である。

  • 定理3:たとえ非合法的に、物理的強制力をもって獲得された支配関係であっても、すべての権力は正当化を求め、権威に転化することで安定性を持とうとする。ファシズムはその極端なケースである。

■正統性(legitimacy)の概念
    1.orthodoxy
      伝統的な教義やスタイル、血筋の正しい継承。
      「南朝と北朝が<正統性>をめぐって争いを繰り広げた」
      この場合には王朝などの血統証明、由緒正しさが問題となっているのであり、orthodoxyという概念。
    2.justification
      特定の政治支配の倫理的・道義的正しさを説く価値判断的な意味
      これは「正統性」ではなく「正当化(justification)」
    3.legitimacy
      マックス・ウェーバーの「正統性Legitimitaet」
      ある特定の支配が服従者になぜ(why)受け入れられているのかという根拠についての事実レベルでの問題・・・何が(what)信じられているのかという問題とは異なる。
■ウェーバーの正統性三類型
    1.合法的支配、すなわち制定された諸秩序の合法性、および合理的に制定された規則に基づく命令権の合法性への信頼、
    2.伝統的支配、すなわち慣習や伝統の神聖さへの日常的信仰、
    3.カリスマ的支配、すなわち啓示、英雄あるいはその他の指導者属性に対する人格的帰依、人格的信頼
    ・理念型としての「正統性」
        混沌とした現実を因果的に理解するために構築された、
        現実にそのような純粋型として存在しない理念上のモデル(一種のユートピア)
    ・価値自由としての「正統性信仰」
        価値自由:社会科学が科学である以上、すべての価値判断から自由でなくてはならない(特定の価値的立場を科学的に正当化できない)。
        正統性:事実問題としての正統性信仰(Legitimitaetsglaube)
        人々がその服従根拠を受け入れているという「事実」のみが問題
        これは定理3で示した、権力が権威に転化するための条件とも読み代え可能。


    ウェーバーのジレンマ:
         循環論法?
         事実とのみかかわる科学と異なる価値観同士の衝突、「神々の戦い」
           -->イデオロギーとしての政治学

R. Dahlの(極めていかがわしい)「正統性」概念
      「命令を適用される人々が、政府の構造、手続き、行為、決定、政策、行政官、リーダーが正しさ、適切さ、道徳的善といった資質を持っていると信じるならば、政府は正統性を持つ。」
      ・・・権力者によるプロパガンダ、動員、操作の成功に還元されてしまう「正統性」概念

「価値中立」な、無党派的政治学?
      正義の問題を価値的な、科学外の問題として追放・放置した政治学は必然的に保守的イデオロギーに転化してしまう。

★参考テキスト
萩原能久「ラビリンスワールドの政治学」、日本評論社『法学セミナー』(全12回連載より「ケンシロウに伝授しておきたいこと」)
E.フロム『自由からの逃走』、東京創元社
Th.アドルノ他『権威主義的パーソナリティ』、青木書店
W.ラカー『ファシズムーー昨日・今日・明日』、刀水書房
山口定『ファシズムーーその比較研究のために』、有斐閣
M.ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、岩波文庫
M.ウェーバー『社会学の根本概念』、岩波文庫
M.ウエーバー『支配の諸類型』、創文社
M.ウェーバー「社会科学および社会政策の認識の『客観性』」(『世界の大思想3 ウェーバー』所収)、河出書房新社
J-M.クラコウ『政治的正当性とは何か』、藤原書店
S.キーン『敵の顔--憎悪と戦争の心理学』、柏書房
野田正彰『戦争と罪責』、岩波書店
C.シュミット『合法性と正当性』、未來社


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