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政治学基礎 I(2004春学期)

【テーマ12:ナショナリズム】

■国家のために死ぬ義務?
    ホッブズのNo  『リヴァイアサン』
      国家の目的=個人の生命の保護
      その意味で死は政治の否定
      敵前逃亡ですら容認するホッブズ
        その例外
        1) 軍に参加し徴兵金を受け取った者
        2) コモンウェルスの防衛の為に武器を取りうる者全員の協力がただちに必要となる場合
    ルソーのYes 『社会契約論』
      社会契約は、契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものはまた手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険、さらには若干の損害と切り離しえない。他人の犠牲において自分の生命を保存しようとする人は、必要な場合には、また他人のためにその生命を投げ出さねばならない。そして統治者が市民に向かって「お前の死ぬことが国家の役に立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。なぜなら、この条例によってのみ彼は今日まで安全に生きてきたのであり、また彼の生命は単に自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件つきの贈物なのだから。
    ルソーの「市民」
      祖国のために死ぬことこそ市民の最大の美徳(スパルタの母)
      近代にはもはやありえない「祖国」

■ナショナリズムの展開
    ナショナリズムのパラドックス
      1.近代的現象? or 古来のもの?
      2.「近代主義」 vs 「原初説」 その折衷?としてのアントニー・スミス説
      3.形式性・普遍性(ヒトのクニへの帰属) or 固有性・独自性の主張?
      4.大理論家なき大理論
    ナショナリズムの秘密
      1)死と再生の神秘
      2)実在しない架空の、しかし強力な神話
      「ナショナリズムは国民の自意識の覚醒ではない。ナショナリズムはもともと存在しないところに国民を発明することである。」(E. Gellner)
    初期ナショナリズム
      コスモポリタニズムと両立
      祖国での生得言語、文化、伝統への愛着と諸国民の平等に立脚した人類全体への愛、自由と平和
    閉じたナショナリズムの成立
      ドイツロマン主義、ロシア・スラブ派の登場
      民族・国家が個人に優先する。他民族の蔑視、敵視
      個人をnationに束ねあげる集権主義collectivism
      =反個人主義、反無政府主義

■ナショナリズムとは何か
    「愛と平和」?
      ナショナリズムの根底にある「愛と平和の共同体」:諸刃の刃
      B.アンダーソン『想像の共同体』
        「ネーションとはイメージとして心に描かれた想像の共同体である。そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される。」
        「無名戦士の墓と碑、これほど近代文化としてのナショナリズムを見事に表象するものはない。」

    公的記憶(public memory)という制度化
    歴史(物語=神話、あるいは事実の集積?)における記憶と忘却
    E.ルナン『国民とは何か』
      忘却、歴史的誤謬・・・それこそが国民の創造の本質的因子です。だからこそ、歴史学の進歩は往々にして国民性にとって危険です。歴史的探求は、あらゆる政治構成体・・・の起源にさえ生起した暴力的な出来事を再び明るみに出してしまうからです。
    ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」IX
      (歴史の天使)は顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、彼はただカタストローフのみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃墟の上に廃墟を積み重ねて、それを彼の鼻先へつきつけてくるのだ。たぶん彼はそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて組み立てたいのだろうが、しかし天国から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、その風の勢いが激しいので彼はもう翼を閉じることができない。強風は天使を、彼が背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでゆく。その一方では彼の眼前の廃墟の山が、天に届くばかりに高くなる。ぼくらが進歩と呼ぶものは、この強風なのだ。


      Paul Kleeの天使たち(中央がベンヤミンのモチーフである「新しい天使」)

    ネーションという共同体の不定形性
    ネーションが外側に向けて拡大想像された場合、「人類」や「世界国家」が想像され、逆に内側に向けて分裂想像されれば「昨日の友が今日の敵」となる内戦(civil war, B殲gerkrieg)という事態が生じる。

■ナショナリズムの論理
    他のネーションが自分たちにすることを許さない、その同じ行為を自分たちが他のネーションに対して行うことは容認する=エゴイズムの論理
    これを正当化する倫理学などありえない。そして倫理「学」を否定する狂信の前ではすべての議論は無力であろう。「狂人たちの真中にいて思慮分別を持つことは、いわば狂気である」(ルソー)

■ナショナリズムの心理
    ナショナリズムの動員する相互に矛盾する「愛」の原理
      自愛:「私」をネーションに拡大・投影する想像力
      他愛:その「私」がネーションに献身し、自身を犠牲に差し出すこと
    前者においても、後者においても、<想像された共同体>としてのネーションが実体化されて、愛を独占する。
    愛の政治学=憎しみの政治学
      キーン『敵の顔』
      われわれの関わる戦争は、強迫的な儀式であり、「影」のドラマなのだ。われわれはそこで、いつもわれわれが否定し軽蔑するわれわれ自身の暗部を抹殺しようとし続ける。生き残りへの最高の希望は、敵と戦争についての考え方を変えることだ。敵の暗示にかかるかわりに、敵を見る目を調べはじめなければならない。……敵は自我の否定的側面から構成されているという否定しがたい英知を、深層心理学はわれわれにもたらした。ゆえに「汝の敵をわが身のごとく愛せよ」というラディカルな戒律は、自己を知ることと平和への双方の道を示している。
敵の顔

    「われわれ」とは誰かという問いは、「彼ら=敵」の登場によって初めて想像される。その際に、「彼ら=敵」とは、私によって否定された<私>が外部に投影されたものに他ならない。「彼ら」とは憎しみの対象だが、それは私への愛の否定態であり、実は他ならぬ<私>が生み出したものである。
    *「他者」とは「他」「者」である。つまり異質な(他)、同質者(人間)であり、だからこそ、他者とは自我の否定性の外部への投影なのである。
    ナショナリズムの強制された愛は愛ではない(「愛国心はならず者の最後の逃げ場」)

    「祖国のために死ぬ」という想像力の貧困
      天皇陛下万歳 と言って 兵隊は死ぬんだ と聞かされていましたけど 実際はそうではありませんでした。 死ぬ前に思うことは 皆 お母さんですよ。どの患者も家族のことしか話しませんよ。大阪出身の兵隊は瀕死の床の中で 最期まで 奥さんとお子さんの写真を取り出しては 始終涙を流して 家族のことばかり話していましたね。
      通信隊に動員された一中三年の生徒は 重傷でしたが「僕は絶対死なないよ。 お母さんも姉さんも家で待っている。 家に連れて行って。 姉さん 僕死なないよ」と私にすがりついて 死んでいったんですよ。
      金城久さん(師範本科2年)の証言。『ひめゆり平和祈念資料館公式ガイドブック』、38頁

★参考テキスト
萩原能久「ラビリンスワールドの政治学」、日本評論社『法学セミナー』(全12回連載より「愛と死の政治学」)
Th.ホッブズ『リヴァイアサン』(中公バックス『世界の名著 ホッブズ』)、中央公論社
J.J.ルソー『社会契約論』、岩波文庫
B.アンダーソン『増補 想像の共同体』、NTT出版
E.ルナン『国民とは何か』、インスクリプト
A.D.スミス『ネーションのエスニックな諸起源』、名古屋大学出版会 A.D.スミス『20世紀のナショナリズム』、法律文化社
W.ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」、『ベンヤミン著作集1』、晶文社
M.C.ヌスバウム他『国を愛するということ』、人文書院
M.ウォルツァー『義務に関する11の試論』、而律書房
小森陽一/高橋哲也編『ナショナル・ヒストリーを越えて』、東京大学出版会
E.ゲルナー『民族とナショナリズム』、岩波書店
E.J.ホブズホーム『ナショナリズムの歴史と現在』、大月書店
S.キーン『敵の顔--憎悪と戦争の心理学』


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