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慶應義塾OCW >>講義と私 >>第2回 草刈隆郎
 

講義と私

本コーナーは大学の講義について皆様にもっとご理解いただき、様々な活用をしていただくことを目的として、広く各界でご活躍の慶應義塾大学卒業生(塾員)の方々から大学時代の講義に関わるご自身の経験や知見に基づき、「講義と私」のテーマでご寄稿いただいたものです。

第2回 草刈隆郎 日本郵船株式会社 代表取締役会長、 社団法人日本経済団体連合会 副会長 

黒川俊雄先生のこと

 先生との出会いは、昭和36年、2年次の夏、奥蓼科で行われた1週間弱のワークキャンプ‐確か、塾の自治会主催だったかと思うが、忘れてしまった‐だった。このキャンプは、煩わしい試験や審査もなく、希望する学生なら学部を問わず自由に参加できるのと、新進気鋭の、助教授・助手クラスの若手の先生方が多数参加されるのが魅力で、100人規模の大集団になるのが通例だった。私はといえば、2年も浪人の果ての入学だったので、入校当時の、やや投げやり且つふて腐れた生活にそろそろけじめをつける切っ掛けがほしくて、1年次から参加させて貰っていたので、今回で2年連続の奥蓼科だった。 昼間の真面目なセミナーやディスカッションは型通りだったが、楽しくかつワクワクしたのは、小ハイキングや夜の集まりでの学生・先生入り混じっての交流だった。
 そんな折、黒川助教授は、トレードマークの黒ベレー、渋い男前にややシニカルなほほ笑みを絶やさず、誰とでも同じ目線で話をして下さった。そんな先生の幅広い見識と確固たる信念、それにも増して、口の悪さとは裏腹な、優しさと包容力が滲み出てくるお人柄にすっかり魅了され、キャンプ期間中、今で言う「追っかけ」よろしくべったりくっついて過ごさせて貰った。
 そしてこのキャンプのフィナーレは、メッセージの交換会だったが、黒川先生は、私のノートにロマンロランを引用されて、『魂の凡庸さに自己を委ねまいとするものにとって、生活は日々の闘いである』と書いて下さった。このノートは私にとって今も掛け替えのない宝物であり、同時に、このロランの警句は、以来自分にとって心の戒めとさせて戴き続けている。(とはいえ、貫徹するのは中々に厳しいが.....)
3年次、日吉から三田に移ると同時にゼミに入ることになるが、私は何の躊躇もなく「黒川ゼミ」を選んだ。私自身、当時は近代経済学よりマルクス経済学に興味を持っていたので自然の成り行きではあった。が、一方で、黒川先生が左翼系学生活動家のシンパであり心の支えでもあったので、可也かしましいゼミ、との風評も承知していた。然し、そんなことより、あのワークショップで共鳴した、先生の、いわば塾の伝統とも言うべき“思想の自由”に包まれて勉強させてもらえる事の方が自分にとって遥かに大事であった。そんな意味で、私は黒川ゼミ学生の“主流”ではなかったが、結構楽しくゼミ生活も送れたし、今も、先生を囲むOB会「俊雄会」にも呼んで頂いて歓談している。(中々日程が合わず、めったに出席できないのが残念でならないが。)
 ゼミとは別に、先生の授業では、「社会政策」と「独語原書講読」を取らせて頂いたが、後者には苦い思い出、そして、先生に大いなる負い目がある。
原書講読は必修科目で、落第点だと卒業できない厄介な代物だったが、“まあ、ゼミ生を落第させるなんて冷たいことを先生がする筈ないわな!”とタカを括っていた。 ところが、ある日、親しいゼミの先輩曰く「黒川先生は、今迄にこの科目で学生を沢山落す事で有名でそれを趣味にされているらしい、ゼミ生も容赦なしだぜ」。 この一言に愕然とする内に、4年次の期末試験が遂にやってきた。
何を隠そう小生、ドイツ語は全くの苦手で、1・2年次は替え玉やカンニング紛いで凌ぎ、何とかお情け進級をお許しいただいたものの、実力はゼロ。黒川先生の原書講読もさっぱりチンプンカンプンで、専ら居眠りを決め込んできたもので、期末試験といわれて今更慌てふためいて見てもどうにもならない。授業では、マルクスの資本論が教材だったから、試験も当然マルクス、えい、ママよ、マルクスならヤマ張って書いてしまえば当たらぬとも限らん、今夜は明日に備えてよく寝るに限る、と飲んだこと無い睡眠薬まで呷る念の入れようだった。然し、先生が試験に択んだのは皮肉にもマルクスならぬケインズ。睡眠薬効き過ぎでモーローとした頭は正に真っ白、のた打ちまくりの所へ、黒川先生がニヤニヤしながら横にやってこられて曰く、「何だお前、何も書いてないじゃないか。皆はほとんど終わってるよ。」惨憺たる結果だったことはいうまでも無い。この上小生にやれることはたった一つ、鵠沼のお宅に安ウイスキーなど持参して伺い、土下座して、「何とかしてください。一生恩に着ます・・・」。やはり、黒川先生は神様だった。通信簿を拝みながら見ると、最低評価では有ったが何と落第だけは免れる成績。早速お礼の長文認めたのは言うまでも無い。
これでメデタシメデタシ、と行きたい所だが、卒業直前のゼミ最終コンパの席でキツーイ一発を食らった。酒も入って皆ご機嫌でわいわいやってる最中、先生が大声で私を指して「オーイ一寸みんな聞け。今年はさっぱり面白くなかった。毎年原書講読では5・6人は落第させていたのに、今年はこいつを上げてやったお陰で、誰も落第させられなかった。草刈、酒持ってこっちへ来い!」
何たることだ、やっぱりビリだったんだ。 (2006年11月25日寄稿)

 

 

 

草刈隆郎氏

1964年経済学部卒業

 

 

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